初めての嬉しい涙
今日は久々の投稿なのだけれど、、、
あいだをはしょらせていただき、昨日起きたことを書きたいな、と思う。
カンボジアに私が移住してきた当時、
私は現地の旅行会社の日本人スタッフとして働いていた。
外国語を話すガイドさんの仕事は花形の仕事で、あこがれの職業だった。日本語やガイドとしてのスキルの違いもある、ツアーガイドになりたてだと、アシスタントガイドと言って、ガイドをしているメインガイドのお手伝いをしながら仕事を覚えてもらうのだが、そこからだと、給料も100ドルをきる。頑張って仕事も覚えて説明もキチンとできて平均して300~500ドルくらい(お土産物屋さんのコミッションなども含めるともっとあるガイドさんもたくさんいたと思う。) カンボジアの平均の給料よりは良い。けれど、家族を養わないといけないこともあり、それでも余裕のあるガイドさんは3分の1くらいだったのではないかと思う。
私のオフィスの日本人支店長がある日、感慨深げにこういった。
「ガイドの〇〇が俺に朝飯、おごってくれたんだよなー。」
普通で考えると、外国人である私たちは金持ち。
カンボジア人とご飯に行けば、支払いをするのは当然私たちの方だ。
やもすれば、「お金を貸してほしい」ということもままある。
支店長も一緒に食事に行けば、自分のスタッフの分を払ってあげるのは当然と思っていたのだろう。
ある日、朝から一緒にでかけたガイドに「僕が支払います」と言ってもらったのだ、、、と。「こいつも頑張って働いて成長したんだなー、って嬉しくなったんだ」、と言っていた。
もう10年以上も前の話である。
ふと、昨日、この話が思い浮かんだ。
パヴァナサラのスタッフ、チャンティーの旦那にあることをお願いしてみたのだ。
バッグの製作をするには、誰もが、そして、いつ作っても、同じサイズに作らなければならない。そのためには「型」が必要になる。ウォーターヒヤシンスのバッグの製作には「型」が必要不可欠なのである。が、この型を作るのは結構大変。のこぎりにくぎ、を使ってとんとんかんかん、しなければならない。チャンティーはうちの旦那なら、こんなのすぐできる、と以前から言っていたのもあり、今回新しい型を作るので、試しに聞いてみた。
「お金払うから、一度だんなに作ってもらおうかな」と。
チャンティーはOKと言って旦那と一緒に寸法を確認し、できたら連絡する、と。
二日後、そこでできあがった型を見て、びっくり!
めちゃくちゃ上手なのである!
サイズもぴったり!
「期待していた以上に素晴らしいー。」とお金を払おうとすると、
「いらない」と。
チャンティーはお金持ちではない。
子供3人。お腹に一人。だんなは仕事がなくて家でごろごろしてて、彼女の毎月の給料は残らないくらい借金を抱えている。
家はバラックで、スラムみたいなところに住んでいる。
「どうして?」と聞くと
「KIKOはたくさん助けてくれているから」と。
返す言葉が浮かばなかった・・・
そして、なんとなく先の話を思い出したのだ。
あの時の支店長も似たような気持だったのではないだろうか、と。
チャンティーは工房立ち上げ時の一番最初にトレーニングをしたスタッフで、今でも残ってくれているスタッフで、一番頼りにしているスタッフ。私が厳しくても、我慢してついてきてくれている。本当にありがたい。今まで、村から帰るときに泣くときは悔し涙以外になかったのに、初めて嬉しい涙が出た。
これからももっともっと頑張ろう。
コロナにも負けず、
いろんなことにもくじけず、
彼女の借金が全部返せて、
子供たちも安心して学校に行けて、
自転車ではなく、バイクが買えるところまで、
持っていきたい。
パヴァナサラのバッグで。
変えたい。
彼女やみんな、私の未来。
より良い未来へ。
周りが聞けば、ちっぽけなことかもしれないけれど、
そんな風に強く思える、嬉しい出来事だったのです。
あいだをはしょらせていただき、昨日起きたことを書きたいな、と思う。
カンボジアに私が移住してきた当時、
私は現地の旅行会社の日本人スタッフとして働いていた。
外国語を話すガイドさんの仕事は花形の仕事で、あこがれの職業だった。日本語やガイドとしてのスキルの違いもある、ツアーガイドになりたてだと、アシスタントガイドと言って、ガイドをしているメインガイドのお手伝いをしながら仕事を覚えてもらうのだが、そこからだと、給料も100ドルをきる。頑張って仕事も覚えて説明もキチンとできて平均して300~500ドルくらい(お土産物屋さんのコミッションなども含めるともっとあるガイドさんもたくさんいたと思う。) カンボジアの平均の給料よりは良い。けれど、家族を養わないといけないこともあり、それでも余裕のあるガイドさんは3分の1くらいだったのではないかと思う。
私のオフィスの日本人支店長がある日、感慨深げにこういった。
「ガイドの〇〇が俺に朝飯、おごってくれたんだよなー。」
普通で考えると、外国人である私たちは金持ち。
カンボジア人とご飯に行けば、支払いをするのは当然私たちの方だ。
やもすれば、「お金を貸してほしい」ということもままある。
支店長も一緒に食事に行けば、自分のスタッフの分を払ってあげるのは当然と思っていたのだろう。
ある日、朝から一緒にでかけたガイドに「僕が支払います」と言ってもらったのだ、、、と。「こいつも頑張って働いて成長したんだなー、って嬉しくなったんだ」、と言っていた。
もう10年以上も前の話である。
ふと、昨日、この話が思い浮かんだ。
パヴァナサラのスタッフ、チャンティーの旦那にあることをお願いしてみたのだ。
バッグの製作をするには、誰もが、そして、いつ作っても、同じサイズに作らなければならない。そのためには「型」が必要になる。ウォーターヒヤシンスのバッグの製作には「型」が必要不可欠なのである。が、この型を作るのは結構大変。のこぎりにくぎ、を使ってとんとんかんかん、しなければならない。チャンティーはうちの旦那なら、こんなのすぐできる、と以前から言っていたのもあり、今回新しい型を作るので、試しに聞いてみた。
「お金払うから、一度だんなに作ってもらおうかな」と。
チャンティーはOKと言って旦那と一緒に寸法を確認し、できたら連絡する、と。
二日後、そこでできあがった型を見て、びっくり!
めちゃくちゃ上手なのである!
サイズもぴったり!
「期待していた以上に素晴らしいー。」とお金を払おうとすると、
「いらない」と。
チャンティーはお金持ちではない。
子供3人。お腹に一人。だんなは仕事がなくて家でごろごろしてて、彼女の毎月の給料は残らないくらい借金を抱えている。
家はバラックで、スラムみたいなところに住んでいる。
「どうして?」と聞くと
「KIKOはたくさん助けてくれているから」と。
返す言葉が浮かばなかった・・・
そして、なんとなく先の話を思い出したのだ。
あの時の支店長も似たような気持だったのではないだろうか、と。
チャンティーは工房立ち上げ時の一番最初にトレーニングをしたスタッフで、今でも残ってくれているスタッフで、一番頼りにしているスタッフ。私が厳しくても、我慢してついてきてくれている。本当にありがたい。今まで、村から帰るときに泣くときは悔し涙以外になかったのに、初めて嬉しい涙が出た。
これからももっともっと頑張ろう。
コロナにも負けず、
いろんなことにもくじけず、
彼女の借金が全部返せて、
子供たちも安心して学校に行けて、
自転車ではなく、バイクが買えるところまで、
持っていきたい。
パヴァナサラのバッグで。
変えたい。
彼女やみんな、私の未来。
より良い未来へ。
周りが聞けば、ちっぽけなことかもしれないけれど、
そんな風に強く思える、嬉しい出来事だったのです。